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ミャンマーで起業した経緯【ミャンマー起業】

EDIT BY たけ
たけ

私がミャンマーで起業するに至った経緯を紹介します。

ベンチャー転職でミャンマーと出会う

私は大学卒業から4年半、会社員をしていました。
1社目に久光製薬会社でMR(医薬情報担当者)として働き、2社目でリクルートでSUUMOという不動産ポータルサイトの営業として働きました。

学生時代から起業したいという目標があり、4年半の会社員を経て、起業することにしました。
しかし、ノウハウもなかったですし、自信もなかったので、ベンチャー企業でも就業経験を得ることにしました。

その時に出会った会社がたまたまミャンマーに支社がある会社でした。

私は大学生の頃にバックパッカーのような形で海外旅行をしていて、東南アジアには大きな関心を持っていました。
「今日より明日が良くなる」雰囲気が街中から感じられたからです。

東南アジアで仕事ができそうという状況に心が躍り初めていましたが、
ミャンマーには一度も行ったことがなく不安もあったので、入社を決断する前(2016年8月)に一度旅行で行ってみました。

初めて見たミャンマーは人々が活気に溢れ、どんどん国が成長していくことが伝わってきて、一瞬で虜になりました。

1年半のがむしゃら期

2016年10月に営業責任者としてベンチャーに入社し、がむしゃらに働きました。
オフショア開発、BPO、日本語学校の運営、旅行事業を行っている会社でミャンマーの社員は約50名いました。

ミャンマーのことを勉強しながら事業のブラッシュアップも行い、入社から半年後には営業だけでなくCOOとして経営全般に関わるようになりました。

人員も拡大していき、1年半経った頃には85名(ミャンマー人80名、日本人5名)の規模になっていました。

SDCパーティーの画像社員たちとサクラタワーのYangonYangonで

M&A

1年半経った頃(2018年4月ごろ)、そのベンチャーがM&Aで買収されました。
親会社になった会社も元々ミャンマーで事業を行っていて、ミャンマー事業の拡大のための買収でした。

私は買収に反対の立場でしたが、決定事項には従わざるを得なかったので、親会社の意向を受けてミャンマー事業拡大のために引き続き業務に邁進しました。
買収後のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)などにも従事し、ミャンマーの従業員・日本人従業員の怒りの矢面に立ったり、事業の整理なども行い、精神的に辛い日々でした。

それから半年ちょっと経った頃、だいたいPMIが完了し、残った従業員たちも親会社に慣れてきました。
その頃に私は親会社の「ミャンマーで300人規模の会社を作りたい」という意向に真剣に取り組んでいたのですが、事業やミャンマーに対する私のスタンスと親会社のスタンスの差から言い争いになりました。
その結果、一緒に事業を続けることが困難な状態になったため、退職することになりました。

起業へ

私は、ミャンマーの地方で会社を作ることに興味があったので、モン州のモーラミャイン市に拠点を持つ会社を作りました。
ミャンマーでは、ヤンゴンやマンダレーなど経済規模の大きい一部の都市にだけ会社が多く存在し、地方には全然会社がないという状態でした。

ミャンマー人は家族を大切にする人が多く、ITの大学を卒業した優秀な方は、ITの仕事をするなら国外やヤンゴン などで家族と離れて住むしか選択肢がなく、家族と一緒に住むならせっかく勉強したITを諦めなければいけないという状況だったので、地方に就業の場を作りたいと思い、クオリーミャンマーを創業しました。

2019年4月に本格的に事業を開始し、2021年2月現在ではミャンマー人従業員41名、日本人従業員5名の規模になっています。

起業に際しては、法人ライセンスや営業ライセンスの種別と取得方法、外国人のビジネスビザや居住許可(ステイバーミット)、不動産契約や税金についてかなり調べ、対応してきました。
ミャンマー進出や起業のノウハウは持っていると自負していますので、これから検討している方は是非ご相談ください。

ミャンマーで起業した理由動画

YouTubeでも語ってみました!
竹之下がミャンマーで起業した理由、ミャンマーに対する考え方を動画にしました。
よろしければご覧ください。

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