ミャンマーを知る
日本サッカー史に残る影の功労者「チョウ・ディン」
こんにちは!
サッカー日本代表の最終予選が佳境ですね…
今回の予選はキビシイ試合が続いていますが、ぜひとも勝ち上がり、またワールドカップの舞台で日本選手の雄姿を見たいものです!
最近は有望な日本選手だったら海外挑戦が当たり前、というぐらい日本サッカーのレベルも上がってきたと思います。
特にスコットランドリーグのセルティックで活躍されている古橋選手や旗手選手の快進撃には同じ日本人として応援せずにはいられません!
ミャンマーについて書かないのかって?
それについてはご安心!
みなさん、ピンときませんか?
日本…
サッカー…
スコットランド…
そのうえミャンマーときたらやっぱりこの人!
今回は2007年に日本サッカー殿堂入りを果たしている唯一のミャンマー人「チョウ・ディン」をご紹介します!
チョウ・ディンとは
チョウ・ディンは2007年に日本サッカー殿堂に正式に掲額されたミャンマー人です。
外国人としてはメキシコシティーオリンピック銅メダルに貢献したデットマール・クラマーに次いで2人目でした。
チョウ・ディンは1900年生まれで1920年代に留学先の日本でサッカーの指導にあたりました。
当時指導していた早稲田高等学院は全国高等学校ア式蹴球大会で2連覇を成し遂げています。
その成果を評価され、日本全国の学校を巡回し、日本サッカー全体のレベルの底上げに寄与しました。
1923年には『How to Play Association Football』という指南書を執筆しました。
当時としては技術や戦術を理論的に記した画期的なものだったそうです。
チョウ・ディンのサッカー
チョウ・ディンのサッカーは当時英国領だったミャンマーで培われたものでした。
いわゆるフィジカルに強いイングランド式ではなく、ショートパス主体のスコットランド式だったそうです。
19世紀後半に近代サッカーが誕生してから、イングランドとバチバチにやりあっていたスコットランドが編み出した戦法です。
現在まで続くパスサッカーの起源ともいえるでしょう。
チョウ・ディンが日本に指導したのもこのスコットランド式サッカーだったようです。
もともと小柄なケルト系の人々が大柄なアングロサクソン系に対抗するために考案されたスタイルなので、日本人にも受け入れやすく合理的な指導だったことでしょう。
とはいっても当時の日本はサッカーの基礎から教えなければいけないことも多かったようです。
トーキックやインサイド、インフロントキックの使い分けやヘディング、タックルの精確性などを指導していたことが当時のスポーツジャーナルや直接指導を受けた方の書籍からうかがいしれます。
チョウ・ディンの功績
チョウ・ディンは1924年にミャンマーに帰国します。
その後、彼の薫陶を受けた日本チームは1927年の極東選手権大会で初勝利を飾ります。
1930年の同大会では見事優勝、1936年のベルリンオリンピックでは「ベルリンの奇跡」として知られる大番狂わせを当時優勝候補のスウェーデン相手に果たします。
日本サッカー殿堂入りしている外国人では先述したデットマール・クラマーや最近だとトルシエやジーコなどがよく知られています。
日本サッカー黎明期に限っても、日本サッカー協会の設立に携わったウィリアム・ヘーグもいます。
しかし、草の根レベルで日本全体の競技レベルを引き上げたチョウ・ディンも勝るとも劣らぬ功労者の一人といっていいのではないでしょうか。
冒頭で述べたように、現在はスコットランドで多くの日本人が活躍しています。
少し前には中村俊輔選手が大活躍していましたね!
そのルーツをたどった先に実はミャンマー人が関わっていた、と考えるとなんだかロマンがありますよね。
チョウ・ディンのその後
帰国後のチョウ・ディンについてはほとんど資料が残っていません。
日本側だけではなく、ミャンマーのほうでも全く知られておらず、彼の消息は謎に包まれています。
わたしも周りのミャンマー人に聞いてみたりしましたが、チョウ・ディンを知っている人はいませんでした…
調べてみると、こちらのバダウ~ミャンマーよもやま話様のほうで詳しく調査されていらっしゃいました。
ミャンマー帰国後は日本で学んだ工業技術を還元することで、ミャンマーに多大な貢献をしていたそうです。
さいごに
いかがでしたか。
今回はサッカー観戦後の勢いのまま、ブログを書いてしまったので、ミャンマー紹介記事の中でもかなりマイナーな話になってしまったかもしれません。
でもこれほどまでに日本に影響を与えているミャンマー人はあまりいないので、これをきっかけにミャンマーに興味を持ってくれる方がいれば幸いです。
いつか日本とミャンマーが一緒にワールドカップで戦える日が来るといいですね!
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